ジャパン・ツーリスト・ビューロー
現在のJTBのベースになったのは、ジャパン・ツーリスト・ビューローで、1912年、明治45年の創設だ。半官半民で設立されたが、我々のような日本人の庶民を相手にして作られた組織じゃない。明治政府が、国民のレジャー振興のために作ってくれたわけではない。1泊2日の温泉旅行を普及させるためじゃない。
JTB設立の目的は外交であり経済だったのだという。
インバウンド観光
それまでも明治政府は、インバウンド観光、外国人観光客の誘致を行っていた。1873年、の横浜グランドホテル、1878年の箱根の富士屋ホテルなど外国人相手のホテルが次々と開業した。それでも、まだまだ外国人への警戒心の残る明治の初期、様々な制約があった。今の北朝鮮ほどの制限ではないだろうがw
来日する外国人が増えてきて、その接遇のため、WelcomSociety 喜實会を、渋沢栄一などの財界人が設立した。
条約改正
江戸の末期に、黒船がやってきて、開国したのだが、その時の条約は、とても対等といえるようなものではなく、極めて不平等な条約だった。それを改めるには文明国としての姿を示す必要があり、国際観光、インバウンド観光の振興が必要とされたのだ。
JTBは、WelvomSociety 喜實会の業務を引き継いだ。そして、各国語のパンフレットを海運の会社に委託して世界にばらまいだ。
国内各地の主要な鉄道駅に、案内所も開設した。しかし、対象は外客である。日本の国民じゃない。国民は勝手に、好きに温泉で湯治でもしておけw
まあそりゃあ、国民じゃなくて臣民だからな。家来ですから。お国が優先ですわw
鉄道省の国際観光協会
1930年、昭和5年に当時の鉄道省に「国際観光局」が設置された。これはもう、外貨獲得が前面に出されている。ところがまあ、このころから軍事色も強くなり、外貨獲得に合わせて、国際観光による、親善なども目的に加えられてきた。
この国際観光局の業務は、1943にJTBに継承されている。
JTBと日本の国民
メインの目的は、国の施策の実施ではあったけれども、それなりに日本人にも対応はしていたようだ。アルピニズムや西洋の近代自然科学をベースにした日本風景論、日本山水論、文人による紀行分で、旅の需要を掘り起こし、鉄道も整備された。雑誌旅の創刊は、1924年、JTBが日本人向けに鉄道旅券の発売を開始したのは、1925年だ。
株式会社に
JTBは、戦後も財団法人として活動をしてきた。財団法人である。今、我々が普通にイメージするJTBの姿や姿勢が見えてくるのは、高度経済成長が幕をあけ、1963年に株式会社になってからのことだろう。
2012年に創立100年っていうけどね、まあ、実際の会社、企業としての幕開けは、この時だったように思うのだ。