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観光と入浴

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近所の銭湯と観光w

近所の銭湯に歩いていくことを、観光とはいわない。旅、旅行でもない。ツーリズムでもないしリゾートでもない。
家風呂、ユニットバスが普及するまでは、銭湯は日常の生活の一部だったろう。観光という言葉には、非日常というニュアンスが必須なのかもしれない。

日帰り入浴施設に行く

管理人は、東京都の区部に在住だ。歩いていける距離にはないが、バスなり電車の公共交通機関なら30分程度、自家用車なら20分程度でいける日帰りの温泉施設が、複数ある。そういう温泉施設には時々行くのだが、それは、レジャー、レクリエーションかもしれないが観光ではないと思う。けれど、車を使って2時間くらいのドライブをして、そこの温泉施設に行くとすれば、観光のような色合いを帯びてくる。温泉だけではなく、他のスポットを見るのが大半だ。どこかに宿泊してくれば、しっかり観光という気分になるが、仮に日帰りであっても、内容次第では観光に行ってきたと思えるだろう。

都内の散策

管理人の趣味のひとつに、ウォーキングがある。条件が良ければ、数時間、30キロから35キロくらい歩く。街の景色、緑などを楽しむ。でその日の終わりに、その土地の銭湯に寄ってくるので、そのためにこの銭湯・温泉 日帰り入浴まっぷ なんぞを作ったわけだがw
何かを見ているのだが、これは観光とは思えない。
何かを見てくること、そしてある程度の距離、離れた感じがあることが、管理人の感じる観光の条件なのかもしれない。

観光という言葉の歴史

観光という言葉の語源は、中国の古典「易経」だそうだ。意訳すると「国の光を観て、王様の役に立ちなさい」くらいの意味。
「観」を「見る」see とした解釈だが、「観」を「みせる、しめす」show とした解釈が太平洋戦争まであって、「国の力を見せる、示す」といった意味にも使われたという。
幕末にオランダから購入した軍艦というと、咸臨丸がメジャーなんだが、もうひとつ「観光丸」もいた。命名の理由はいろんな説があるけども、ここに観光の文字が使われているね。
佐野藩では、藩の学校を「観光塾」、高杉晋作は、京都の交流録を「観光録」とした。
岩倉具視が、米欧回覧実記の表紙に「観」と「光」を書いている。

ツーリストとビジターの国際的定義

さて、銭湯・温泉 日帰り入浴まっぷ管理人の感覚はともかく、世界的、国際的にはどうなんだろう。
観光は、tourismの翻訳だが、ism は、行動、状態、主義なんだが、tourはラテン語の torus ロクロである。陶磁器を作成する時に回転する道具だ。つまり、回らないといけないw 巡回、周遊の意味がある。
1963年に、驚いたことに国連が定義している。国連って、そんなことまで議論するのかwと驚いたりもするが、「ツーリストとは少なくとも24時間以上、そして最長1年以内の期間、居住地を離れて再び居住地に戻る」として、目的は、営利だろうが非営利だろうが関係ないとした。それがそのままUNWTO(世界観光機関)の定義となった。
観光とツーリズムは、「ビジネス」を含むか否かで、別のものになった。観光はビジネスは含まない。
ところで24時間以上だから、管理人が日帰り旅行で、温泉にいって、少し観光地を見る場合は、国連的には、ツーリストではないということになるw
UNWTOには、ビジターという括りもあって、ここでは、ツーリストは宿泊をするビジターで、エクスカーショニストが日帰りのビジターだ。
先の管理人は、温泉入浴施設を利用するエクスカーショニストで目的は観光といえるのかな。

お勉強中

現在管理人は、放送大学で「観光の新しい潮流と地域」を履修する学生である。
勉強の方法にはいろいろあるけれども、講義の内容を自分の問題に具体的に当てはめて、さらに考えをすすめるのが大事じゃないかと思っている。考え書くにあたって、ベースになっているのは、勿論、講座で使用しているテキストであることは明記しておきたい。