極楽トンボの管理人
「銭湯温泉まっぷ」は、、自分が銭湯や温泉巡りなんぞをして、その時の感想をボチボチで数十年(w)かかっても、ためていけばいいやという、まさに、お気楽&趣味のサイトなのだ。
管理人の仕事の一部で、地方の自治体のWEBをローラーすることがあって、その時に、京都市が、市営の銭湯、浴場を運営していることに気が付いた。
入浴施設を運用している自治体は、全国にけっこうある。温泉が湧いている自治体だけじゃなく、健康増進施設として、大きな浴場とトレーニングルームをそなえ、地域のコミュニティ機能を持たせている施設もよくみかける。極楽トンボの能天気な管理人は、京都市立の浴場も、その類かな程度でその時は流し、13施設もあるし、京都の銭湯のデーターもないし、せっかくだから名前と住所などを登録しておいた。定休日や営業時間は、またそのうち調べて追加しよう、と。
管理人の略歴と同和問題
管理人は、東京に生まれて東京に育った。社会に出てから、10数年、関西に、京都、滋賀にいたこともあるが、基本は東京のモノサシでモノを考えてしまう。京都や大阪、関西の人とのモノサシや感覚の違いは、10数年の間に、時々は意識させられた。
同和問題は、東京で育ち、東京で暮らしていると、ほとんどの人は意識もしないだろうし、そんな問題があることすら知らない人も多いだろうと思う。たまたまだが、管理人の小学校の先生は、マルクス大好きの共産党万歳という先生で、今思えばけっこう過激なことを言っていたと思う。もし今の小学校で同じようなことを言えば、あの先生は、クビが飛んでるかもしれないwしかし、切れ味バツグンの先生で、悪い思い出より、いい思い出が多い。それはそれとして、その先生は「部落問題」「部落解放」とハッキリ、戦闘的な言動をずいぶんしていた。「同和問題」なんて、オブラートにくるんだ言葉じゃなかったなぁ。先生は、同和問題だけじゃなく、アパルヘルトもアウシュビッツも話題に出してなよな、たしか。
差別とか人権とか、あるいは人間の尊厳とか、管理人は、けっこうこの種の話には、熱を帯びてしまうのは、たぶんこの時の先生の影響が無視できないんだろうな。
大学生の時、京都の友達のアパートに泊めてもらったことがある。風呂はない。「ちょっと距離はあるけども」と向かったのは、今の市営の錦林浴場だ。当時から市営だったのかどうかよく覚えてないが、まあ、普通に入浴してきた。
さて、極楽トンボの管理人ではあるが、後になって、京都の市立の浴場の営業時間とか定休日はどうなっているのかしらんと調べだして、やっと気が付いた。そうか、これは、同和問題に関係していた施設だったのか。そのエリアに安い料金で入浴できるようにと市営にしているのか。
大学時代に、京都の錦林の銭湯にいったことを、数年後に生粋の京都人にしたら驚かれ、危ないなあと言われてしまって、こっちのほうが驚いたことを思い出した。
身上書とか釣書とか
身上書はまだいいのだが、釣書という言葉が、今もなお、一部の世界で現役であることに驚きを感じる。家柄の釣り合いを見ましょうという物だ。
日本の名家、名門って、どれくらいの歴史があるんだろう・・・とか思う。神武天皇の東征よりは新しいよなw
家柄の差別の拠り所ってなんだろうなぁとか思う。昔先祖が、戦上手で、人を殺すのがうまかった・・・。それだけじゃないのかねえ。あるいは、そういう力ある人に仕えていましたよね、って。結局、最初は、みんな成り上がり・・・だよなぁw 2000年前の先祖は、みんな半裸体だったはずだよなあ。
高貴さ、あるいは物を識るようなことは、家柄だけでは確定しない。育っていく上での環境のヨシアシは重要で、その差はあるのかもしれないけれど、例えば、秀吉とか、貧農で、戦い続け、ロクな教育もなく。最晩年はともかく、それまでは実に驚異的な超人的な人生じゃないか。
管理人は、前職で、採用にも関わった。家柄?出身?ハッキリ言ってどうでもいい。仕事ができることが一番大事だ。仕事ができるように腕を鍛えてきたか?それだけしか見なかった。
グローバル化の時代だ。本籍を採用の要素にするような企業は、もう生き残れないだろうよ。外国人だって活かして戦力にしていかなきゃいけない時代に、差別をして、いったい自分の血筋、家柄の何を守ろうというんだろう?何の誇りなんだ?世界史をみりゃあ、滅びた王家なんて山ほどあるんだ。純血主義で腐って滅びていった話も山ほどあるよなぁ。ちっぽけな日本の名家や名門なんて、どれほどの強さがあるんだ?誇るべきこと、守るべきことって、もっと全然違うところにあると思うのだ。
同和問題が存在することは、実に馬鹿げたことだと思う。
同じ日本人で、何をやっているんだ?
それこそ、いわれなき差別をするほうが、よほど「非国民」じゃないか。日本の経済に、自治体の財政に、余計な負担をかけるんじゃない。